2024年4月に金融経済教育推進機構(J-FLEC)が設立され、従業員の資産形成支援は人的資本経営の重要テーマになりつつあります。実際、経済的な不安を抱えたまま働く従業員は少なくありません。何から整えればいいのか、迷う人事担当者の声も聞かれます。
従業員のお金の安心づくりは、福利厚生のおまけではありません。生産性や定着率、企業価値の向上につながる投資として、段階的に取り組んでいくのは十分に可能です。
ファイナンシャル・ウェルビーイングの意味や企業経営で注目される背景、取り組むメリットを詳しく解説します。さらに、従業員の現状を把握する視点や具体的な施策、社内で伝えたい基本ステップも紹介します。
ファイナンシャル・ウェルビーイングの意味と定義
ファイナンシャル・ウェルビーイングは、お金の面で満たされ、安心して暮らせる状態を指す言葉です。施策を考える前に、土台になるウェルビーイングの意味と米国での定義、金融リテラシーとの違いを押さえておきましょう。
そもそもウェルビーイングとは
ウェルビーイングとは、心も体も、人や社会とのつながりも満ち足りた状態を指す言葉です。始まりは、1946年に採択された世界保健機関(WHO)憲章の前文です。憲章は健康を、病気でないだけでなく身体的・精神的・社会的に満たされた状態と定めました。
日本でも厚生労働省の報告書で、個人の権利や自己実現が守られた良好な状態と説明されています。たとえば、給料は高くても長時間労働で心身が疲れ切っている状態は、満たされているとはいえません。
一時的な幸せではなく、暮らしや人生の全体が続けて満たされている点がポイントです。お金の面から見たウェルビーイングが、ファイナンシャル・ウェルビーイングにあたります。
米消費者金融保護局による定義
代表的な定義を示したのは、米消費者金融保護局(CFPB)です。CFPBは2015年の報告書で、次の3つがそろった状態と説明しました。
- 当面の支払いを着実に行える
- 将来のお金に安心感を持てる
- 人生を楽しむための選択ができる
身近な例でいえば、家賃や光熱費を無理なく払え、老後の見通しが立ち、年に1度の家族旅行も楽しめる状態です。
共通する軸は、今と将来の両方で経済的な安心を保てるかどうかです。日本でも金融庁が、多様な幸せの実現と安心感を柱とする定義を公表しています。収入や資産の額だけでは決まらない点は、企業が支援を考えるうえでも重要な特徴です。
金融リテラシーとの違い
金融リテラシーは、お金の知識と判断力を指します。一方のファイナンシャル・ウェルビーイングは、知識を生かした先にたどり着く状態です。
たとえば、NISAの仕組みを知っているのは金融リテラシーです。知識を生かして積立を続け、将来の不安が減った状態がファイナンシャル・ウェルビーイングにあたります。
| 項目 | 金融リテラシー | ファイナンシャル・ウェルビーイング |
|---|---|---|
| 意味 | お金の知識・判断力 | 経済面の幸せと安心感が満たされた状態 |
| 位置づけ | 目標に近づく手段 | 目指す目標(ゴール) |
金融庁は身に付けたい金融リテラシーとして、家計管理や生活設計など4分野・15項目を公表しています。知識の習得から行動へ広げる流れを、教育や制度で後押しする役割が企業に期待されています。
ファイナンシャル・ウェルビーイングが企業経営で注目される背景
なぜ今、企業経営の文脈でファイナンシャル・ウェルビーイングが語られるのでしょうか。背景には従業員の将来不安の高まり、物価上昇による家計の圧迫、国による後押しという3つの変化があります。
人生100年時代と従業員の将来不安
日本人の寿命は延び続けています。厚生労働省の令和6年簡易生命表によると、平均寿命は男性81.09年・女性87.13年です。65歳で退職しても、20年前後の暮らしが続く計算です。
長い老後に備える資産形成は、現役世代の大きな関心事になりました。従業員が漠然とした不安を抱えたまま働く状態は、企業にとっても見過ごせない課題です。
物価上昇による家計の圧迫
物価の上昇も、従業員の家計を直撃しています。総務省統計局によると、2025年平均の消費者物価指数は前年より3.2%上がりました。消費者物価指数は、モノやサービスの値段の全体的な動きを示す指標です。
なかでも食料は6.8%の上昇で、日々の負担感が増しています。幸福の実感に最も影響するのは経済的なゆとり感だという民間の調査分析もあります。賃上げだけでなく、お金の不安そのものに向き合う支援が課題になっています。
国による金融経済教育の推進
国も企業の取り組みを後押ししています。2024年4月に金融経済教育推進機構(J-FLEC)が設立され、同年8月から本格的に動き出しました。学校や職場への講師派遣、個人向けの無料相談が活動の柱です。
2022年度からは、高校の家庭科でも資産形成を扱う授業が始まっています。官民で学ぶ環境が整うなか、職場での金融教育にも注目が集まっています。
従業員のファイナンシャル・ウェルビーイング向上が企業にもたらすメリット
従業員のファイナンシャル・ウェルビーイングが高まると、企業には何が返ってくるのでしょうか。従業員満足度の向上にとどまらず、生産性や定着率、企業価値にまで良い影響が広がっていきます。
従業員の不安軽減と満足度向上
第一のメリットは、従業員のお金の不安が軽くなり、満足度が高まる点です。第一生命経済研究所の調査では、日本人のスコアは100点満点で平均51点でした。家計と資産への満足度が0点の人はスコア36点、10点の人は63点と、30ポイント近い差が出ています。
内閣府の調査でも、家計への満足度は生活全体の満足度を左右する主要な分野とされています。企業の支援でゆとりの実感を高める余地は、まだ大きく残されています。
生産性と定着率への好影響
お金の心配が減ると、従業員は目の前の仕事に集中しやすくなります。電通総研のコラムでは、従業員の経済的な不安がエンゲージメントや生産性に影響すると指摘されています。エンゲージメントとは、仕事への熱意や会社への愛着を指す言葉です。
欧米では、経済面の支援を人的資本の強化策として位置づける企業が先行しています。金融教育や資産形成支援は、離職の防止や採用力の面でもプラスに働きます。従業員の安心づくりは、組織の力を底上げする投資といえます。
人的資本経営としての企業価値向上
ファイナンシャル・ウェルビーイングへの取り組みは、人的資本経営の一環として評価されます。人的資本経営とは、人材を資本ととらえて価値を引き出し、企業の成長につなげる経営の考え方です。
経済産業省が2020年公表の人材版伊藤レポート以降、後押ししています。たとえば、研修や資産形成支援の費用を、設備投資と同じくリターンを生む投資と考える発想です。金融教育や資産形成支援を人材への投資と位置づけ、統合報告書で開示する企業も出てきました。投資家や求職者への発信材料としても、施策の価値は高まっています。
ファイナンシャル・ウェルビーイングの現状を把握する3つの視点
施策を始める前に、従業員のファイナンシャル・ウェルビーイングの現状を知っておきましょう。家計管理・将来への備え・選択の自由という3つの視点は、社内アンケートの設問づくりにも役立ちます。
日々の家計管理の状態
金融庁はファイナンシャル・ウェルビーイングの定義に、自分の経済状況を管理する行動を含めています。毎月の収入と支出を把握できているかが、最初の視点です。従業員の状態を確かめる観点には、次の例があります。
- 毎月の支出額をおおまかに答えられるか
- 家賃や公共料金の支払いに遅れがないか
- 収入の範囲内で暮らせているか
匿名アンケートで聞くと、支援ニーズの当たりを付けやすくなります。
将来への備えの有無
2つ目の視点は、老後や病気に備える資金の準備状況です。J-FLECの2024年調査では、単身世帯の78.4%が老後の生活を心配していると答えました。
理由の1位は「十分な金融資産がないから」で71.5%です。備えへの不安は、若手からベテランまで幅広い層に共通しています。生活費数か月分の貯蓄や老後資金の目標額について、従業員が答えられる状態かどうかが目安になります。
人生を楽しむ選択の自由度
3つ目は、お金を理由に人生の選択を諦めていないかという視点です。米消費者金融保護局(CFPB)も、人生を楽しむ経済的自由を4要素の1つに挙げています。
趣味や学び直しへの支出、住み替えや子育てなどの選択を、費用面で狭めていないかがポイントです。選択の自由度が低い従業員が多い職場ほど、金融教育や制度導入の効果が出やすいと考えられます。
ファイナンシャル・ウェルビーイング向上に向けた企業の施策
従業員のファイナンシャル・ウェルビーイングを高める施策は、金融教育・制度導入・相談窓口の3本柱で考えると整理しやすくなります。いずれも公的機関の無料支援を活用でき、コストを抑えて始められます。
従業員向け金融教育の実施
最初の一手は、社内研修への金融教育の導入です。J-FLECの講師派遣は講師料も交通費も無料で、1回45〜120分の講義を受けられます。
テーマは家計管理や社会保険、NISA・iDeCoを含む資産形成まで幅広くそろっています。原則10人以上の受講者が集まれば申し込めるため、部署単位でも実施しやすい仕組みです。まずは1回のセミナーから試すと、社内の反応をつかめます。
資産形成支援制度の導入
教育とあわせて、制度面の支援も効果的です。厚生労働省の統計では、企業型確定拠出年金(企業型DC)の加入者は2025年3月末時点で約862万人です。2021年3月末の約750万人から、4年間で110万人以上増えました。代表的な制度は次のとおりです。
- 企業型DC: 会社が掛金を出し従業員が運用する年金制度
- マッチング拠出: 企業型DCに従業員が掛金を上乗せする仕組み
- 職場つみたてNISA: 給与天引きで積立投資ができる仕組み
たとえば企業型DCなら、会社が毎月2万円の掛金を出し、従業員が投資信託などで運用します。自社の規模や人員構成に合わせて、導入しやすい制度から検討してみましょう。
外部の無料相談窓口の活用
個別のお金の悩みには、社外の相談窓口を案内するのが有効です。たとえば独立系のファイナンシャルプランナー(FP)であれば、家計管理・生活設計からNISAなどの資産形成まで幅広く相談できます。特定の金融機関に属さない中立の立場のFPを選べば、特定商品の勧誘や販売がないのが特徴です。相談は対面・オンラインの両方に対応しているところが多く、従業員が自分のペースで利用できます。
こうした窓口の存在を社内報やイントラネットで周知するだけでも、従業員支援の第一歩になります。会社が個別の家計にまで踏み込まずに、専門家によるサポート体制を整えられる点もメリットです。
ファイナンシャル・ウェルビーイングに関するよくある質問
最後に、企業の担当者から寄せられやすい疑問にお答えします。給与との関係や担当者の学び方など、検討段階でつまずきやすいポイントを整理しました。
Q. 給与を上げれば従業員のファイナンシャル・ウェルビーイングは高まりますか?
給与の引き上げだけでは十分ではありません。第一生命経済研究所のレポートでは、ライフデザインを深く考えて実践する人ほど、ファイナンシャル・ウェルビーイングが高いと分析されています。金融リテラシーが高い人ほどスコアが高い傾向もあります。
収入が増えても、支出が同じペースでふくらめば不安は残ります。賃上げと並行して、人生設計や家計管理を学ぶ機会を整える施策が効果を発揮します。
Q. ウェルビーイング経営とはどのような関係にありますか?
ファイナンシャル・ウェルビーイングは、ウェルビーイング経営の土台を支える要素です。ウェルビーイング経営とは、従業員の心身の健康や働きがいを重視する経営を指します。
ウェルビーイングは心身や社会的なつながりまで含めた幸せ全体を指し、内閣府も満足度・生活の質に関する調査で幸福度を測っています。お金の安心は、健康や人間関係の充実を支える基盤になります。健康経営や働き方改革と同じ文脈に経済面の支援を組み込むと、施策全体に一貫性が生まれます。
Q. 中小企業でも取り組めますか?
規模を問わず取り組めます。外部のファイナンシャルプランナー(FP)による講師派遣や個別相談など、低コストで使える外部リソースが整っているからです。大がかりな制度をいきなり導入する必要はありません。
日本FP協会や自治体が実施する無料相談・出張セミナーなどを活用すれば、費用をほぼかけずに始められます。セミナーの開催や相談窓口の周知といった施策なら、中小企業でも負担なく取り組めます。まずは小さく始めて従業員の反応を見ながら、企業型DCなどの制度検討へ広げていく進め方が現実的です。
従業員のファイナンシャル・ウェルビーイング向上へ一歩を踏み出そう
ファイナンシャル・ウェルビーイングは、従業員がお金の面で安心して働ける状態を指し、生産性や定着率、企業価値の向上につながる経営テーマです。
鍵になるのは、現状の把握と小さな施策の積み重ねです。まずは社内アンケートで従業員の状態をつかみ、無料の講師派遣を使ったセミナーから試してみましょう。お金の安心を支える取り組みを、人材への投資として今日から動かしてみてください。
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